「スペインに1日しかいないのであれば、迷わずトレドに行け」
なんて言葉があります。
スペインには色んな素敵な所があるのになぜトレド?もちろん息を飲むような素晴らしい景色が広がっているんだけれど、それなら他にも沢山それに匹敵するような場所があります。
トレドにしかない魅力は一体何か…を改めて考えてみました。
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今の世界からは考え難いのですが11世紀、この街をレコンキスタした国王様は「3宗教の国王」なんて言われたアルフォンソ6世でした。3宗教が一緒に住んでいた時代があった。しかも喧嘩せずに?いやもちろん色んないざこざがあったはずだけれど。しかし確実に言えるのは、この街は3宗教のどれが欠けても発展しなかった街です。
文化の劇的な発展は13世紀、「カスティ-リャ語散文の創始者」と言われたアルフォンソ10世の時代。国王は3宗教のスペシャリストを集結させてトレド翻訳学校を造ったのです。
イスラム教徒は凄かった
ここは教育機関ではなく、イスラム教徒達が所有していた書物をユダヤ教徒、キリスト教徒と協力してラテン語やカスティーリャ語(スペイン語)に翻訳していく場所。
それまでキリスト教世界ではローマ数字の複雑さで遅れをとっていた「数学」が、アラビア数字になることにより数学理論が一気に進みます。「医学」もきっちりした理論の下で体の成り達を知ることにより進んで行きます。
これが12世紀ルネサンス!びっくりしたでしょうね、衝撃だったでしょうね。イスラム教徒達が出し惜しみせずに大事な資料を提供してくれたおかげですね。
この活動が、他の国々に伝えられ、北部ヨーロッパ各地の大学の学識者たちがトレドに大勢集まることになります。まさに3宗教が揃ったからこそ成し遂げた偉業。
しかしこの後、レコンキスタが進むに連れて、異教徒(キリスト教以外)は迫害されてしまいす。ピーク時には1万人以上いたユダヤ人たちにも追放令が出され、10以上のシナゴーグやメスキータが全て破壊されました。現在残っている2つのシナゴーグも教会に変えられています。
1分で読むレコンキスタ
6世紀、フランス側から入ってきた西ゴ-ト族がイベリア半島に入植、国王リカルドがキリスト教になったことで国教がキリスト教になる。
8世紀アフリカ大陸からジブラルタル海峡を渡ってウマイヤ王朝イスラム教教徒たちが入植。あっという間にイベリア半島支配。→とは言ってもキリスト教、ユダヤ教を迫害せずに共同生活。
しかし、北からキリスト教徒達が立ち上がる!!「キリスト教の土地を奪い返そう」←国土回復運動「レコンキスタ」という。
この国土回復運動は1492年まで続く。
16世紀黄金時代のスペインは凄い勢いでした。(今、あの勢いはどこへ…。)
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新大陸、西ヨ-ロッパ(イベリア半島、ブルゴーニュ、ナポリ王国、シシリア王国、フランドル、ドイツ、オーストリア)、フィリピン
まさに日の沈まない王国。
こんなに領土を持っていた時にこのトレドが首都だった。と言うことは、トレドが世界の頂点に君臨していたことを意味します。
そうなると今も同じです。この国で一旗揚げよう‼‼‼って様々な分野の一流たちが集まってくる。ギリシャ人画家「エル グレコ」もその中の一人でした。彼の本名はドメニコス・テオトコプーロス。エル グレコはギリシャ人という意味です。
彼がスペインに来た頃の国王はフェリペ2世。この時にはすでに首都はマドリードに移っていたのですが、国王から受けた最初の注文が国王の好みに合わず、その後注文が激減。トレドに移り住み宗教画家として活躍していくのです。
少し長くなってしまったのでこの続きは次回に…。
LIVEでこんな話にも触れながら、実際に街を歩き紹介します。
有料 20ユーロ
お申し込みはこちらから。まだまだ間に合います。
(ぺ-ジ中のメイキングビデオはガイド大森由美さんの物です。22日は私がご案内します。)
この度、諸事情により急遽ガイド担当が変更しました。尚、ツアーは引き続き催行しますので素敵なトレドの街をお楽しみ下さい。
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