PrimaveraNa-気づけば旅が仕事だった。

ツアコンとして世界を飛び回り、現在スペインでガイドをする生活。こんな時代だから本気で旅を見直そう。

マヨ—ル通り 約1KM弱に隠されたガイドブックに載っていない魅力 《後半》

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54番地付近

スペイン人にも人気の通り。「マヨ—ル通り Calle Myor 」。後半も見どころがいっぱいです。

 今回も番地を見ながらガイドブックに載っていない面白い場所を探していきたいと思います。前半はこちら↓↓

primaverana.info

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著名人達がこぞって住んでいた通り

 この辺りは17世紀に造られたマヨ—ル広場、100年以上前のサンミゲル市場など、ガイドブックでお馴染みの人気スポットのすぐ前辺りです。

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左46番地                右61番地

46番地は16~17世紀活躍したマドリ-ドの生まれの劇作家Lope de Vega(ロペ・デ・ベガ)生まれた場所。

61番地は17世紀活躍した劇作家のPedro Calderón(ペドロ・カルドロン)が生涯愛した住居跡。

 

1分で読む黄金時代の著名人 同じ時をマドリ-ドで過ごした著名人達

ロペ・デ・ベガは大衆劇が多く、代表作【オルメ-ドの騎士】は悲劇とされながらもテンポ良くストーリーが進み読みやすい。

カルデロンは劇をさらに進化させ、舞台装置や音楽などにも力を入れた人物。現在スペインオペラ「サルスエラ」の生みの親。彼の喜劇新作であった「アポロの月桂樹」という作品を国王フェリペ4世の別荘サルスエラで上演したことで劇自体を「サルスエラ」と呼ぶようになったと言われている。ちなみに国王フェリペ4世は宮廷画家にベラスケスを迎えていた国王。

この二人の少し先輩だったのが、有名な【ドン・キホーテ】を書いた小説家ミゲル・デ・セルバンテス。彼も晩年はマドリ-ドに住んでいたため、この偉大なる4人が顔を合わせていたことでしょう。海を越えたイギリスではウィリアム・シェイクスピアも居たのですから、この時代は有能な人が沢山いたんですね。本当かどうか、セルバンテスシェイクスピアの命日は同じなんて言われています。

 マヨ—ル通り54番地辺りから右上(正確にはCalle Milaneses 3番地)

Accidente Aèreo (仮 不時着)

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54番地周辺

スペインのこういう大胆な所が好きです。しっかり探さないと通り過ぎてしまいますが、54番地辺りの角から右手上を見ると、なんと失敗作か?と思われる作品が見えます。こちら、Miguel Ángel Ruiz Beatoの手によるれっきとした作品ブロンズで造られており、なんと重さ300KG!

「1万年前の日差しが心地よいある日、翼を持つ天使がのんびり散歩に出かけます。あまりの気持ちよさに仰向けに太陽を浴びた彼は、そのままいつもの牧草地に着地しようとしたところ、その場所は大きく発展を遂げ大都会になっていたため不時着してしまった」というストーリー。個人的に好きです。

 

44番地(サンミゲル市場目の前)の角にはお勧めスペインコスメブランド【La Chinata】ラ・チナタの路面店があります。1932年創業Extremadura(エストレマドュラ州-ポルトガル付近)の農園で作られた上質なオリ-ブを使用した製品を扱っています。マドリ-ドの某5つ星ホテルのスイ-トルームのアメニティーにもなっている安心ブランドです。

www.lachinata.es

黄金時代の元宮廷が続く

 マヨ—ル通り66番地 Plaza de Villa ビリャ広場

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 ここは、ハプスブルグ統治時代マドリ-ドの中心地だった場所。中世の時代はサルバドール広場と呼ばれていました。

 

15世紀、16世紀、17世紀 3つの時代が違う建物

《写真左高い塔》15世紀 Torre de los Lujanes ルハネスの塔 

塔は1471年創建でマドリ-ドで最古の建物と言われています。元はアラゴンの商人であったLuján(ルハン)一族の館。ムデハル様式といって、キリスト教時代に栄えたアラブ様式になっています。入口に15世紀の国王であったEnrique IV(エンリケ4世)のプレ-トがはめ込まれています。この国王によってまだ当時首都ではなかったマドリ-ドが権威ある街だと認定されたのです。この国王様、かの偉大なるイサベル女王の腹違いのお兄さん…。歴史上では不能王なんて汚名を持つ国王です。

《写真正面》16世紀 La Casa de Cisneros シスネロスの家 

1537年完成。かの有名なイサベル女王の時代に権力を持っていたシスネロス枢機卿の甥にあたるベニ-ト ヒメネス シスネロス家です。現在はマドリード管轄下になっており、入場はできません。

《写真右》17世紀 La Casa de la Villa旧市庁舎

1645年フェリペ4世の命で完成した建物。この国王様、政治的にはあまり活躍された記録はないのですが、とにかく芸術好き。宮廷画家にベラスケスを迎えた国王です。建築はフアン ゴメス デ モラ。彼は当時のマヨ—ル広場建築も担当しました。この建物は2007年までマドリード市庁舎でした。

マヨ—ル通り69番地  Palacio de Cañete カニェテ宮殿

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16世紀後半から17世紀にかけて建てられた宮殿。スペインハプスブルグ第1番目の国王カルロス1世と非常に親しいカニェテ侯爵の宮殿として建てらました。当時の宮殿としては珍しいレンガ造りです。現在はマドリード管轄の建物となっており、マドリード日本文化センターなどが入っています。

ホーム - 国際交流基金マドリード日本文化センター

 

 

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《写真左側》マヨ—ル通り79番地  El Palacio de los Duques de Uceda 旧ウセダ侯爵宮殿

1610年完成。マヨ—ル広場、旧市庁舎を手掛けたフアン ゴメス デ モラが指揮を取った建物です。ウセダ侯爵は国王フェリペ3世と強い繋がりのある人でした。ちなみに国王フェリペ3世の時代は17世紀初頭。この国王様に会った日本人に伊達藩支倉常長氏がいます。日本との繋がりもあった国王様。

ウセダ侯爵がお亡くなりになった後は、なんとマリア デ オーストリアの邸宅となります。マリア王妃は国王フェリペ4世の2番目の奥様。ベラスケスも彼女の肖像画を残しています。現在は政府機関であり、入場不可です。

《写真右》マヨ—ル通り86番地  Es el Palacio de Abrantes アブランテス宮殿

1653年、建築家フアン マサが裁判所として建てた物です。次々に持ち主が変わり、1842年アブランテス侯爵が住居として大きく改装しました。19世紀後半、イタリア政府が当時にして400.000ペセタで買い取り、現在はイタリア文化センターです。

この建物はイスラム教徒統治時代(マドリードは8世紀~11世紀頃)の城壁を崩して建てました。当時の設計記録にはなんと440もの城壁ブロックがあったと記載されています。現在もその一部を壁として利用しています。

 

さて、ここまで来たらもう目の前はアルムデナ大聖堂と王宮です。

ぜひ、マドリードに来た際には小さな見どころも楽しんで下さい。

 

 

 

 

 

 

 

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